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壮乡之旅(四)[日本]横田亮
作者:横田亮    文章来源:本站原创    点击数:    更新时间:2007-3-11    
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壮乡之旅

(四)

(日本) 横田 亮

日本语原文
汉语译文

第四日


 この日は靖西県から大新県に移動した。途中には玉蜀黍畑や水田が多くあり、水田では水牛が耕していた。駱駝のような形をした岩山などいろいろな形の山も眺められる。

第四天

这天我们从靖西往大新进发。路上有很多玉米地和水田,水田里有水牛在耕作。还眺望到了象骆驼一样的石灰岩山等各种各样形状的山。


 このあたりは南に行くほど標高が下がるので多くの滝ができている。この日は滝巡りの一日だった。
这一带因为越往南走海拔就越往下降,所以造成了很多瀑布,这天是游玩瀑布的一天。
愛布瀑布群  第一から第三までの瀑布があり、中には四段ほどになっている見事な滝もあった。 爱布瀑布群 由三个瀑布组成的瀑布群,中间的那个分成四段,十分壮观。
三畳嶺瀑布  大新県との境界近くの道路の側にある滝。山の頂上から流れ落ちている三重の滝だそうだが一番上は見えなかった。水量豊富で豪快な滝であった。 三叠岭瀑布 在与大新交界附近的公路旁边,从山顶上跌落下来的据说是三重的瀑布,不过没有看到最顶上的那一重。是一个水量丰富的豪壮的瀑布。
徳天大瀑布  靖西県の南大新県のベトナム国境にある。この瀑布は国境滝としてはナイアガラに次ぐ規模とのことで、雨量が少ない頃には何条にもなっている滝が大雨のために一つになり水煙を上げている様子は素晴らしい景観だった。離れた高い所から眺めるのであまり落差のある滝のようには見えないのだが、滝の前の中州にいる人が芥子粒のように見えたので、やはりかなり巨大なものだろう。この滝の水源の一つが前の日に行った鵞泉で、水量を増していったんベトナムに入り、それからここで瀑布となって落下し、黒水河となって中国内を流れている。滝が見渡せる道路脇にはベトナムの人達が屋台を出してベトナムの菓子やタバコなどを売っていた。やはりチワン族だそうだ。
德天大瀑布 在靖西县南边的大新县与越南交界的国境上。据说这个瀑布是仅次于尼亚加拉瀑布的国境瀑布,在雨量少的时候会形成好几条,不过因为下了大雨,形成一条扬起水烟的瀑布,这个样子真是壮观呀。在离它很远的高处眺望它,看起来并不是落差很大的瀑布,但是在瀑布前面的河中沙洲里站着的人们看起来就象芝麻般一样大小,看来还是十分巨大的。这个瀑布的水源之一就是前一天我们去的鹅泉,随着水量的增大流入越南,然后在这里形成瀑布落下来,折回中国境内形成黑水河。瀑布对面的道路旁边有越南人摆摊卖越南的点心和香烟等。听说他们也是壮族人。
 廖さんの案内で滝の上流に向かい、道らしいものもないかなり歩きにくい所を通って国境まで行った。途中爆破されたように岩石が転がって散乱していた。静かな山の中で人影もなく、もちろん線が引いてあるわけでなく、百年以上前にフランス人が建てたという高さ一メートル六十センチくらいの古ぼけた石碑があるだけだった。石碑にはベトナムに向かって「中国廣西界」と漢字で、その下にフランス語で「シナとアンナンの国境」と彫られている。この傍で写真を撮ったが、ついでに五、六歩「国境侵犯」をした。屋台を出していたようにベトナム人は自由に出入りしているようで、私達が行った時にも一人の男性が自転車に米の袋を積んでベトナムの方に入って行った。岩石が積み重なっているような所を、米袋を下ろしては自転車を運び上げ、また米袋を載せてと、なかなか大変な様子だった。 在廖先生的向导下我们朝瀑布的上流走去,经过既象道路又很难行走的地方,我们一直走到了国境线。途中的岩石好象是被爆破了一样,散乱地滚了一地。静悄悄的山中一个人影都没有,当然不会有国境线拉过来,而是有一百年之前由法国人立的高一米六左右的破旧的石碑。在石碑上对着越南的一侧雕刻着“中国广西界”的汉字,其下还刻有“支那与安南的国境”的法语。在这旁边我们照了相,顺便“侵犯国境”了5、6步。就象摆摊一样,越南人好象都自由出入,我们去那里的时候,也还有个越南人用自行车驮了一袋米进入了越南。在岩石堆垒起来的地方,把米袋放下来,再将自行车搬上去,然后再装米袋,十分狼狈的样子。
 徳天大瀑布を後にして黒水河に沿いながら南寧に向かった。対岸にはべトナムの高床式住宅の集落が見えた。数日前の大雨のために道路があちこちで壊れていて修復中で、ドライバーはかなり苦労していた。途中にホテルがあったが、数日前に土砂流に襲われて滞在中の台湾からの観光客が四人亡くなったと言うことで、かなりの豪雨だったようである。

离开德天大瀑布,我们沿着黑水河向南宁进发。对岸可以看到越南的杆栏住宅的村庄。由于几天前的大雨,公路到处都被破坏了,正在整修中,司机特别辛苦。途中看到了个宾馆,听说几天前受到泥石流的袭击,有四个来旅游的台湾观光客死亡,应该是一场特大暴雨。

 途中何キロ進んでも広大な砂糖黍畑が果てしなく続く所があった。大きな製糖工場もあり、砂糖の多くはロシアに輸出されているとのことであった。 途中有个地方,不管走了多少公里都是广袤的甘蔗田。还有很大的糖厂,听说蔗糖大都出口俄罗斯。
 砂糖黍畑が終わるとバナナ畑が見え始め、やがてこの旅の間ずっと見馴れたカルスト地形も姿を消し、夕刻南寧市に到着した。中国の都会と言うと、日本のテレビでは決まったように自転車の群れを映し出すが、南寧ではおびただしい数のバイクで、自転車はその中に紛れてあまり見当たらないくらいだった。南寧のバイクの台数か保有率かは中国一だそうだが、大通りには歩道と車道の間にバイクと自転車の専用道路が設けられているくらいだから、それも頷ける。 甘蔗地刚过,开始可以看到香蕉地,不久,此次旅行当中一直看惯了的喀斯特地形也逐渐消失,傍晚我们到达了南宁市。说到中国的都市,在日本的电视上几乎都是固化了的自行车群的形象,但是在南宁却是大量的摩托车,自行车混在其中几乎看不到。听说南宁的摩托车拥有率是中国第一,在大路上人行道和行车道之间设有摩托车和自行车的专用道,所以也可以理解。
 レストランで広東料理の夕食をとる。さすがに「食は広州にあり」と言われる広東料理だけあって、特に豪華なものではなかったのだが、鳩を揚げたものや魚料理など非常に良い味であった。 在餐厅我们吃了广东料理。真不愧是被誉为“食在广州”的广东料理,虽然并不是什么特别豪华的菜,不过炸鸽子和鱼特别好吃。
 夕食後ホテルに入った。 吃完晚饭就入住了宾馆。

第五日


 午前中に南寧空港を発ち、広州着。廖さんは西安の旅行社を辞め、広州の南の中山の旅行社に就職するとかで、広州まで同行した。広州でまた旅行社の岳さんの出迎えを受け、廖さんと別れた。時間があったので広州美術館を見学。特別展示の宋代から現代までの梅の画が見ごたえがあった。

第五天

上午我们从南宁机场出发,到达广州。廖先生好象是要离开西安的旅行社,到广州南边的中山的旅行社去上班,所以和我们一起到了广州。在广州,旅行社的岳先生来接我们,我们就和廖先生告别了。因为还有时间,我们又参观了广州美术馆。在特别展览中的从宋代到现代的梅花的画十分值得看。

 午後広州発、午後七時過ぎに関西空港に帰着した。 下午从广州出发,下午7点稍过我们到达了关西机场。

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→壮乡之旅(五)

文章录入:红棉树    责任编辑:红棉树 
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